皇国の道
(一)
天神地祇を崇敬するは、皇国建始以来の国風にして、上は天津日嗣天皇より下庶民に至るまで、之を苟且に附したる事なく.国家安穏にして淳厚の俗を為し、天下は実に平安であつた。
故に上下の国民の行動たるや、凡てを神祇に依托し、亳も私心を交ヘず、百般のこと皆神意を奉じて処理し決行したものであつた。
神武天皇の長髄彦以下の諸賊を征服し給ひし時にも、先づ天神地祇を礼祭し、その神意に従つて行動し給うた。
又崇神天皇の天業を経綸遊ばし、景行天皇の筑紫の土蜘蛛を征討し、神功皇后の三韓を言向け給ひしも、ことごとく神意を奉じて行ひ給うた。
天孫降臨以後、崇神天皇の御代までは、神と皇との際遠からす、常に同殿同床にましましけるが、天皇は天下の形勢を洞察し給ひし結果、和光同塵の神策を採り給ひ、天照大神及び草薙の劒を大和の笠縫邑に遷して斎き祀らしめ、外国の文物を輸入して大いに国家の経綸を行ひ給ひ、垂仁天皇の御代更に伊勢の国宇治の五十鈴の川上に宮柱太敷立てゝ大神を斎き祀らしめ給うた。
次いで応神天皇の御代に至り、孔孟の教儒教なるもの初めて渡来したるによりて、淳朴の良風は次第に移りて、浮華の俗に浸潤し、国民思想上に稍変化を来たすことになつた。
けれども、大和魂の本元は微動だもなく、忠孝仁義の大道は昭々乎として日月と共に光りを放ちつゝあつた。
それより欽明天皇の御宇に至り、仏教始めて渡来し、その説くところ前の儒教に比して大いに趣を異にし、因果応報の説をもつて我が国民の精神に驚異を与へたのである。
開闢のはじめの神祇を崇敬し神意のままに動きたる国
何事も神のまにまに働きて国開きたる大和神国
惟神神の教をよそにして我が日の本は治まらざるなり
御代御代の天皇は大神をいつきまつりて世を治めましき
応神天皇の御代より儒教渡り来て国民思想動き初めたり
孔孟の教をうまく咀嚼して政治のたすけと為せし我が国
欽明天皇の御代に到りて仏の教渡来せしより風俗変はれり
淳朴の美風はことごと地をはらひ浮華軽佻の俗に変ぜり
天地の神の恵みに地の上の国のことごと生れしを知らす
釈迦孔子ヤソの教の渡り来て誠の道を失ひにけり剛
切萬事行き詰りたる世を生かす道は神祇を祀るにありけり
仏教の渡来に就いては、国人の未だ曾て耳にせざりしところなるを以て、その奇異にして仏像の華美なるに眩惑され、これを信奉するもの多く、物部の守屋と蘇我氏の正面衝突となり、途には崇仏派勝を制し、殊に当時上下の尊敬最も厚かりし厩戸皇太子の如きも、ひたすらに仏教を政策上より尊信採用されたるにより、仏を尊奉するもの益々多くなつたのである。
然しながら舒明天皇の御代に至りて、唐の使節に御酒を賜ひて神の威徳を示したまひ、次いで孝徳天皇の御代には、先づ神紙を鎮祭して後に政事を議し、もつて内外国人をして神祇の当に崇敬すべきを知らしめ給ひしごときは、何れも敬神を以て主とせられたる証拠である。
次ぎに文武天皇の御代には、律令を撰定し給ふや、大いに唐制を模倣されたりといへども、獪神祇官をもつて百官の上に置かせ給うた次第である。
斯くして歳月を経るにしたがひ、仏教を信奉するもの多くなりしが、神紙を崇敬することは建国以来の風習にして牢として抜くべくもあらず、彼等仏教者の布教は意の如くならざるを憂ひ、茲に神仏の調和を計画するものさへ出で来り、元正天皇の御代には、既に気比の大神のために神宮寺を造りしものさへあつた。
それより空海、最澄の僧輩出でゝ本地垂迹の説世に普伝さるるに至り、神社の祈祷にも僧侶をして読経せしめたり、神職の外に別に又社僧なるものを置いて奉仕せしめ、遂には仏神の文字を国史上に見るに至り、冠履顛倒を来たすことになってしまったのは、我が皇道の上から見て遺憾至極である。
仏教の渡来は我が国上下の人の心を迷はせにけり
仏教の奇異なゐ説や金ピカの仏に国民酔はされにけり
やうやくに仏を信する人ふえて物部蘇我氏の衝突となれり
物部の守屋は神の道奉じ蘇我氏は仏に盲従なしたり
神仏の正面衝突勃発し物部蘇我はにらみ合ひけり
仏教派の勝利となりて惟神神のをしへはおとろへにけり
さりながら大和魂なほうせず仏をこばむ者も多かり
仏教の宣伝容易ならざるをさとりて神仏調和をこころむ
倫の空海最澄等により神仏の混淆まつり始まりにけり
仏教は日本の祖先崇拝の教をのこらす我がものとせり
空海は本地垂迹説を唱ヘ神を仏の権現といふ
神社には神職の外に社僧ありて祈祷に経読み珠数をつまぐる
仏教の渡来せしより益良夫の睾丸のこらす割去されたり
勇壮なる大和男子も仏のため骨なし蛸となり終りたり
因果応報等の愚説を唱へつゝ淳朴の民の心乱せり
三千年の昔の風俗にねじ直す道は神紙を敬ふにあり
動きやすき国民なれどしんそこの大和心はうつらざりけり
日の本を仏教国に化せんとし世世僧侶の計画とげずも
(昭和八、九号 神の国)
(二)
玉鉾の道は多しと雖も、萬古に亘り干載を経て変易磨滅すべからざるものは実に斯道なり。
畏くも我が皇祖天神は斯道を以て国を肇め徳を樹つるの基礎となし給ひ、之を天孫列聖に授け賜ヘり。
されば、彼の延喜格の序にも『我朝家道出二混沌一』と記せるが如く、其の源泉は遠く萬世一系の天津日継と共に、同じく高天原より此葦原の中津国に傅はり、久遠の間未だ嘗て一日も地に墜ちたることなく、天日と共に弥益々に其光輝を角しつゝあるなり。
此の如く斯道は天授の真理にして、至粋至美至真至善至正の極たり。
故に鬼神も之に依りて立ち、人民も亦之に依りて活き、萬物も亦よりて安息するを得るなり。
畏くも、明治天皇の下し給ひし教育勅語に
『斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ、朕爾臣民ト共ニ、眷々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセム事ヲ庶幾フ』
と詔らせ給ひしも、実に斯道が宇宙の真理、天地の大道なるを表白せさせ給ひしものと仰ぎ奉らるゝなり。
此を以て、彼の儒仏道若くは天主囘々耶蘇等の如き、大疵小醇真偽相半するが如き薄弱なる教理とは、実に霄壌の差と云はざるを得ず。
見よ、至聖と称せらるゝキリストの本国猶太の滅亡して露の苛政の下に呻吟せるを、大聖と仰がるゝ釈迦の本国印度の仏教の感化によりて滅亡し、独立の体面を失ひて英の配下に涙を呑みつゝあるを、先聖と称せらるゝ孔子の生国支那の未開半亡国同様にして、国勢の振はざるを。そもこれらは皆何に因由する乎。
則ち其の教理に欠点ありて、天理人道に適合せず、説く所根元なく、薄弱信を措くに足らず、以て治国平天下の道に稗益する所なき而巳か、却つて害毒を流布したる結果にあらずして何ぞ、然らば斯る教理を以て、治国の本、修身の要と思ひ、心酔せる外教崇拝者こそ、実に国家のために獅子心中の虫と日はざるを得ざるなれ。
此に於てか、此の虫を退治し、以て国家のために臣民たる義務の萬分の一を尽さむの真情より、益々斯道研究の要務なるを感じ、茲に学生の身なるをも顧みず敢へて一言を贅して余白をけがしゝにこそ。
(明治四〇、七、二七、このみち第三五号)
(三)
世人(せじん)往々(わうわう)曰(い)ふ、在来の学説は陳腐(ちんぷ)なり、在来の宗教は腐敗せりと。
然(しか)らば之(これ)に代るべき活学真宗教は如何(いかん)と反問すれば、一も成立したる確固不抜の形式を有するものなし。
万一之ありとするも五十歩百歩の相違のみ。日進月歩開明の人心を満足せしめ、信従せしめ、安堵せしむるの学説宗教あるなし。
かくいふものの決して皆無といふにはあらず、世の開明、精神的文明に伴はざる為、天授の一大真理を発見し能(あた)はざるのみ。
王仁(おに)は慥(はるか)に、世界の哲学を凌駕し、一変し得(う)べき、真活学の吾(わが)古典に明記されあるを知る。
心身安堵し立命すべき活教理は、吾皇国(みくに)に、然(しか)も古今に通じて謬(あやま)らず、中外に施して悖(もと)らざる真教哲理の存在するを、断言して憚(はばか)らざるなり。
今人(こんじん)の蒙昧頑固なる、自国固有天祖相承の哲学神法を度外に置きて顧(かへりみ)ることなく、外尊内卑の弊(へい)は依然として上下に拡がり、何事も皆法を外に求め、其の術(すべ)を異(こと)に尋ぬつるの慣習常(つね)となり、惟神(かむながら)の神州(みくに)を日に月に汚しつつあり。
噫(ああ)悲しい哉(かな)。
直霊軍は、今や時代の要求に駆られて生れたり。
万邦(ばんぱう)無比の国体を?明(べんみい)し、惟神の徳性を宇内(うだい)に拡充し、国恩の万一に報ぜむとす。
斯国(このみくに)の大君に臣事(しんじ)し、斯国(このみくに)の恩に浴し、斯国に安全なる生を托(たく)し、斯国の粟(あわ)を食(は)む同胞諸氏よ。
斯国の為、斯道(このみち)の為、本軍に参加し来たりて敬神忠君愛国の至誠を涵養(かんやう)し、以(もつ)て祖先の遺風を顕彰せられんことを希望して止まざる所なり。
宇宙の大精神、所謂独一真神たる天帝、天之御中主大神は、至善至美至真の御徳性を有し玉ふが故に、天地万物を創造し玉ひ、終(つひ)に人類を生成し、之(これ)に霊魂を賦与し玉ふたのは、人間に限り無き幸福を永遠無窮に得させやうとの難有(ありがたい)神慮に出(いで)たのである。
故に人間は、此(この)至尊の神より霊(れい)力(りき)体(たい)を分与せられたる以上は、神と同様一元(げん)であるから、天地の花万物の霊長と誇称し、生き乍(なが)ら神たるの働きを為す事の出来得る最も貴きものである。
然(しか)るに外教の徒の曰(い)ふ、人間の元祖が造物主に背きたる其罪の為に、世界は変じて人間の為に難儀苦労を与ふるやうになり、人性は涜(けが)れて智は昧(くら)み、情(なさけ)は捩(ねぢ)れ生れながらにして悪に傾き、今世(このよ)の幸福のみならず、来世(あのよ)の終りなき幸福をも失ふ可(べ)きものとなつた。
そこで造物主が之(これ)を憐(あはれ)み玉ふて、人間の罪を救ふ為に耶蘇(やそ)基督(きりすと)を降誕せしめられたので、この救世主(すくひぬし)を信ずるものは救はれる、信じないものは救はれないで、地獄に陥り無限の永苦を受くるなどの邪説妄語(はうご)を真面目になつて唱導して居るは、実に憐然の至りではないか。
宇宙の大精神素(もと)より至正至直毫(がう)も悪無き御方(おんかた)で、その分派たる吾人の始祖も亦(また)悪無きは当然である。
裔孫(えいそん)千百中に於て偶(たまたま)悪罪あるものは、悉く皆自業自得で、始祖の遺(のこ)した悪罪では無い。
皇典に所謂改言(アラタメイヘトノリタマヒキ)は則(すなは)ち改過(かいくわ)無悪(むあく)の意味である。
人間は造物主より至真至善なる直日(なほひ)の魂を賦与されて居るので、自ら正邪理非(りひ)曲直(きよくちよく)を辧知(べんち)する自省の念 所謂 良知良能が在つて、事に触れ物に接し時々刻々に、過つては悔いたり、或(あるひ)は覚(さと)り、或は畏(かしこ)み、或は耻(は)ぢらひつつ、悪を消し善に遷(かへ)るといふ自然の戒律を、霊魂中に包有して居るから、吾人(ごじん)の始祖も、亦(また)決して裔孫(えいそん)に罪科を遺して子孫を困らしむるといふ如き、道理のあるべき筈は無い。
我(わが)襟(えり)のシラミさへ探し尽せず、白紙一枚を隔(へ)て前の見へない様な、不完全なる人間の作為した現行刑法でさへも、父が罪を犯して刑に処せられたからといふて、其の子や孫に迄罪を及ぼさないが法律の精神である。
況(いは)んや、全智全能にして一視(し)同仁(どうじん)毫(がう)も偏頗(へんぱ)なき神の、立玉(たてたま)ふたる御制規(おきて)に於てをや。
然(しか)るに外教の徒が、斯(かか)る根拠も無き知れ切つた虚言を、啌(うそ)とも思はず畏(お)ち怖(おそ)れ、救世主(すくひぬし)に泣付(なきつ)いて未来の冥罰(めいばつ)を免れんとして騒ぎ廻つて居るのは、恰(あだか)も祖先の借りもせぬ金の利子を附(つ)けて返済せねば、身代(しんだい)限りに成つて、其の上懲役でもさせられる様に思ふて恐れて居るのと同一で、実に幼稚な愚昧な思想と云はねばならぬ。
神眼(しんがん)赫々(かくかく)固(もと)より幽顕(ゆうけん)無く、死生理(ことはり)を一にす、生きても死しても吾人の住む所は大地球の神国なり、神国に生を享(う)けたる最も幸福なる我同胞諸氏よ、生き乍(なが)ら神たらんことを思ひ、仮りにも未来を恐怖せず、既往を顧(かへり)み現在を慎みて、以(もつ)て根(もと)の国(こく)底(そこ)の国(くに)の方へは見向(みむき)もやらず、勇壮に活溌に立働(たちはたら)き、天下国家の富強ならんことを祈るべきなり。
(四)
今や世界に行はれつつある宗義学説は、千種万様、一も確固不抜の真理を捕促し、且(か)つ唱導して、吾人を安心せしめ立命せしむる者あるなし。
曰(いは)く庶物教、曰く多神教、曰く一神教、曰く自然神教、曰く万有神教、曰く汎神教、曰く無神教、曰く儒教、曰く仏教、曰く報徳教と、是等(これら)の教義学説は、悉皆(しつかい)人為教にして大疵(たいし)小醇(せうじゆん)真偽(しんぎ)相半(あいはん)し、所謂天授の真理にあらざれば、宇宙万有の根本、大極、大本体、大現象の全きを知ること能(あた)はざるは勿論にして、何(いづ)れも宇宙真理の僅かに一端を説明し得たるのみなれば、我二十六世紀の人心には何処となく物足らぬ心地せらるるなり。
故に今後の社会は、猶更(なほさら)斯(かか)る不完全なる教義を歓迎して、以(もつ)て治国安民向上立命の教義直説として耳を籍(かさ)ざるに至るべく、其の結果は遂に無宗教無趣味の社会と変じ、徳義信仰は地を払ひ、牛鬼蛇神(ぎうきだしん)白日(はくじつ)に横行(わうかう)濶歩(くわつぽ)し、魑魅(ちみ)魍魎(もうりやう)は公々然(こうこうぜん)頭上に跋扈(ばつこ)跳梁(てうりう)するに至らん。
吁(ああ)これ天下の為に由々敷(ゆゆしき)大変と謂(ゐ)ふべし。
然(しか)らば今後の社会に於(おい)て、吾人が向上し、発展し、安息し、立命し、天賦の幸福を全ふし得(う)る所の活教真理なきか。
世人の大多数は、この点に就(つい)て大いに迷ひつつあるものの如し。
余輩(よはい)会(かつ)て天主教の演説を聞きし事ありしが、外国宣教師の言に、此(この)世界は苦しみや災ひの生ずる所にして、善人も衰へ悪人却つて栄ゆる不満足の世界なり。
至仁至愛の神は、吾人に永遠無窮の幸福を与へん為に、未来の天国に安住させ玉ふなり。
それも主(しゆ)耶蘇(やそ)基督(きりすと)を信ずる者に限る。
この世界は全く人民の住む国ではない、禽獣(えんじう)の住む汚穢(をわい)の地なりと。
吁(ああ)これ何んたる囈語(たはごと)ぞや。
迷語(めいしん)も亦(また)実に甚(はなは)だしからずや。
彼等の徒の暗愚なる、現世に於(おい)て衷心(ちうしん)より依信(いしん)すべき至直の教義を認むること能(あた)はず、煩悶(はんもん)苦慮終(つい)に絶望の結果斯(かか)る厭世的(えんせいてき)口気(こうき)を漏すに至りたるか。
彼等の曚昧(もうまい)頑固なる、日夜渇仰熱望しつつある唯一無二の天国たる我が神洲に上(のぼ)り来たり乍(なが)ら、猶(なほ)心(こころ)附(つか)ずして蒼天の彼方をのみ仰望(げふばう)せるなり。
彼輩等(かれら)は顕幽不二の真理を解せず、折角神の恩頼(おんらい)殊寵(しゆてう)に浴して、上(のぼ)り難たき天国神洲に参上(まい)り来たりながら、その天国に救はれ居る事を覚知せず、恰(あだか)も富士へ来て富士を尋ねる富士詣り、その不二山に居りながら、芙蓉の容姿端正にして優美高尚、言ふ可(べか)らざる威厳あるを知らざるが如く、寧ろ気の毒の至りと謂ふべし。
仰(そもその)我国の神の建て玉ひし国なり。
神の開きて神の守りたまふ国なり。
万世一系天立君主たる現人神(あらひとかみ)の治め玉ふ聖地(みくに)にして、神道を行ふ君子国なり。
故に我国は万国に勝れて、尊き国体なれば、又自から尊き道あり、則(すなは)ち惟神の大道(だいだう)と称し、古今に通じて謬(あやま)らず中外に施して悖(もと)らざる、天来の真教活理ある美くし御国(みくに)なり。
日本書紀の難波(ナニワノ)長柄(ナガラノ)朝廷(ミカドノ)御巻(ミマキ)にも、惟神者謂随神道(カムナガラトハカミノミチニシタガヒテ)亦(マタ)自有神道也(オヅカラカミノミチアルヲイフナリ)とありて、上(かみ)は、至尊の治国平天下の大御業(おほみわざ)より、下(しも)は、万民が修身斉家の法に至る迄、学ばずして自らしり、習はずして自ら覚え、書物も無く記録も無く、師匠も無く、而(しか)して人々自得して忘るる事なく、自(おのづか)ら神祇(しんぎ)の尊敬すべきを知り、君主に誠忠を尽し、国を愛し、父母に孝養を全ふし、夫婦相和し、兄弟互ひに敬愛し、朋友相信ずる等、醇厚(じゆんこう)敦朴(とんぼく)の美風良俗は、別に外来の不完全なる教義を信頼せざれども、皇祖皇宗の御遺訓に則(はか)り、不言無為にして化すてふ神明の戒律を、霊魂中に保有して、事物の正邪理非曲直を自省し、各自その向上発展する処を了知するを得(う)べく、彼の国学の秦斗(たいと)本居大人(うし)の
「御国(みくに)はし日の神国(かみくに)と人草の心も直し行なひも善(よ)し」
と詠まれたるも道理にこそあれ。
中世以降海外より渡来したる異教邪説は、大いに皇国の大道を汚濁し、優美高尚にして至正至直なる人心を邪悪に導き、社会を毒したるは、実に慨歎(がいたん)に堪へざる次第なり。
同(どう)大人(うし)の
「きもむかふ心さくじりなかなかにからの教ぞ人あしくする」
との歌をも思出(おもひだ)されて、いとも憤(いきどほ)ろしきこと共なれ。
振起(しんき)せよ我会員諸氏、今日の日本は昔の日本にあらず、世界的の大日本にして、皇(すめら)大御神の見霽(みはる)かし坐(ま)す四方の国は、天(あめ)の壁立極(かべたつきは)み国の退(そ)ぎ立限(たつかぎ)り、青雲の靄(たなび)く極み白雲の墜坐向伕(おりゐむかふ)す限り、青海原は棹舵(さをかぢ)干(ほ)さず舟の艪(ろ)の至り留(とどま)る極み、大海原に船満ち続けて、陸より往(ゆ)く路は荷の緒結(をゆひ)堅(かた)め磐根(いはね)木根(きね)履(ふ)みさくみ、馬の爪の至り留る限り、長道(んがら)間無(ひまな)く立都々気氐(たちつづきて)、狭(さ)き国は広く峻(けは)しき国は平らけく、遠き国は八十綱(やそつな)打掛(うちか)けて引寄する事の如く、皇大御神の寄さし玉へば云々と、雄壮遠大なる我祖先の思想及抱負の、実現せんとする好機運に際会せる大日本帝国なり。
斯(かか)る目出度(めでたき)神洲(かみくに)に生を托(たく)する日本男子(やまとますらを)の、軽々看過ごし、以(もつ)て千載(ざい)一遇の好機を逸すべけんや。
昔日(せきじつ)釈迦はその狭き印度にありて、基督(きりすと)は其小(そのせう)なる猶太(ゆだや)にありてすら、邪説にもせよ。
妄語にもせよ、自身は深く真理と見做(みな)し且(か)つ救世の教義と確信して、終(つひ)に三千大世界を救ふを期したり。
其の意気の勇壮に、その願行の広大にして、更にその慈悲博愛の念に富むことの甚深(じんしん)無限なる、終(つひ)に救世済民の志を立てんとせるは、感ずるに余りありといふべし。
吁(ああ)神洲清潔の民たるを自負する会員諸子よ、願くは直霊教主の教へ玉へる皇国固有の国教を信奉し、天神天祖の伝へ給へる敏心(とごころ)の日本魂(やまとだましひ)を振起(ふりおこ)し、真学を修め、真智を啓発し、徳器を成就し、以て惟神の大道を宇内(うだい)に宣揚(せんやう)し、祖国の為、斯道(しだう)の為、直霊軍に参加し、直日魂(なほひのみたま)を元帥と仰ぎ、厳(いつ)の魂(みたま)を参謀長となし、荒魂(あらみたま)の勇を以(もつ)て帯剣となし、幸魂(さちみたま)の愛を以(もつ)て軍旗と押立(をしたて)、奇魂(くしみたま)の智を以て炮銃(はうじゆう)となし、和魂(にぎみたま)の親(しん)を以て弾丸となし、大道を進み、邪道に突貫し、以て直日に見直し聞直し、正義を以て上官となし、真理を以て糧食となし、天(あめ)の下の罪穢(ざいけ)過誤(くわご)を掃清(さうせい)し、以て神皇(しんわう)の造り玉ひし至清至潔の神洲神民(しんみん)を堅盤(かきはに)常盤(ときは)に擁護せんことを。
(五)
神祇(しんぎ)に対する一般の行為は、尊崇(そんそう)主義と尊敬主義と信仰主義との三者の区別がある。
而(しかし)て祭祀(さいき)の実行にも、幽齋と顕齋との二者の区別がある。
幽齋(ゆうさい)は、神社もなく、祭文も無く、奠幣(てんぺい)も無く、只管(ひたすら)に霊を以(もつ)て霊に対する幽玄(ゆうげん)美妙(びめう)の神法である。
亦(また)顕齋(けんさい)は、形を以て形に対する儀式であつて、神社を容し、祭文(さいもん)も容し、奠幣も在つて、神祇の洪慈(こうじ)大徳(たいとく)に報(むく)ゆる大道である。
然(しか)りと雖(いへども)顕齋のみに偏するも不可なり。
幽齋のみに偏するも不可なり。
宜しく其の中道(ちうだう)を斟酌(しんしやく)せなくては邪道に陥るの恐れがあるから、祭祀の道は最も注意周到で無くてはならぬ。
顕齋は要するに報本(はうほん)反始的(はんしてき)一偏(ぺん)の祭祀で、幽齋は祈祷主義一偏の祭祀である。
この二者の区別は明かに成らねばならぬが、大抵は幽顕混合して居るのが多い様である。
吾師(わがし)大いに之(これ)を憂慮し玉ひて、終(つひ)に皇道霊学を唱導し、祭祀の大義を明らかにせられた。
古事記上巻(かみのまき)に
『此の鏡は専(もは)ら吾御霊として我(わが)御前(みまへ)を拝(いつ)くがごといつき奉れ』
とある天照大神の神勅は、尊崇主義の例である。
日本書紀神代巻下(しも)二に
『吾(あれ)は天津神籠(ひもろぎ)また天津磐境(いわさか)を立て吾孫(あがひと)の為に齋(いは)ひ奉らん汝(なれ)天の児屋根命太玉命、天津神籠を持て葦原の中津国に降(くだ)りて亦(また)吾孫の為に齋(いは)ひ奉れ』
とある高皇産霊尊の神勅は、所謂祈祷主義の実例である。
亦(また)神武天皇紀に
『天の香山の杜の中の土(ほに)を取り天の平瓮(ひらか)八十牧(やそひら)を造りまた厳瓮(いづべ)を造りて天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)を敬ひ奉れ亦(また)厳(いづ)の呪詛(かぢり)をせよかくなさば虜自(あたおのづか)ら平ぎなん』
とある、天神の神勅も、同じく祈祷主義である。
亦(また)同紀(どうき)に
『我皇祖の霊天より降(くだ)りて鑑し、朕(ちん)が身を光らし助け玉ひて今(いま)諸(もろもろ)の虜(あた)已(すで)に平ぎ海内無事なり天神(あまつかみ)を祀りて大孝を申(のべもう)さん』
とある。
神武天皇の御詔勅(みことのり)は、所謂報本(はうほん)反始主義の例である。
亦(また)崇神天皇紀に
『天皇何とて国の治まらざるを憂ひ玉へる若(も)し能(よ)く我を敬ひ祭り玉はば必ず自(おのずか)ら平ぎなん』
とある大物主神の神教(みをしへ)は、所謂信仰主義の例証である
亦(また)仲哀天皇紀に
『天皇何とて熊曽(くまそ)の服(まつろ)はざるを憂(うれ)ひ玉へる是(これ)は膂(そじし)の空国(むなくに)なり豈兵(あにへい)を挙げて伐(う)つに足らんや茲国(このくに)に愈(まさ)りて宝の国あり云々、拷衾邪羅国(たくぶすましらぎのくに)と云ふ若(も)し能(よ)く吾(われ)を祭らば曽(かつ)て刃に血ぬらずして其国(そのくに)必ず服(したが)ひなん、又(また)熊曽も服(したが)ひなん云々』
とある向津姫命(むかつひめのみこと)の神教(みをしへ)は、所謂信仰主義の例証である。
亦(また)推古天皇紀に
『旧(むか)し我(わが)皇祖(くわうそ)天皇等(てんわうたち)の世を宰(をさ)め玉ふや天に跼(せぐくま)り地に蹐(ぬきあし)して敦(あつ)く神祇(しんぎ)を礼(うやま)ひ周(あまね)く山川を祠(まつ)り幽(ひそか)に乾坤(あめつち)に通ず是(これ)を以(もつ)て陰陽開和し造化共に調ふ今、朕(ちん)が世に当り神祇を祭祀すること豈怠(あにおこた)ることあらんや、故(こ)れ群臣心を竭(つく)し宜しく神祇を拝すべし』
とある推古天皇の御詔勅は、所謂尊敬主義の実例である。
次に神社の成立の如きも、尊崇(そんそう)主義で成立つたものと、信仰主義で成立つたものと、以上二者の差別がある。
之を要するに、伊勢の皇大神宮を初め山城(やましろ)の賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじや)及び賀茂御祖神社(かもみおや)、同じく国男山八幡宮(くにをやま)、大和の大和神社、春日神社(かすが)、広瀬神社(ひろせ)、河内(かはち)の枚岡神社(ひらをか)、和泉(いずみ)の大鳥神社(おほとり)、摂津の生国魂神社(いくくにたま)の如き各(かく)官幣大社も、亦(また)官幣中社(くわんぺいちうしや)、山城の大原野神社(おほはらの)の如きは、皆尊崇的成立(そんすうてきせいりつ)である。
何(なん)となれば神の教へに依(よつ)て創立したもので無く、皆由緒に依て創立せられたものであるから、亦この例は神社の中でも最も多数を占めて居るのである。
次に信仰的成立の神社は、譬(たと)へば、
天照太神が雄略天皇の御夢中(おんむちう)に告げられた其の御告(おつげ)を信じて創立せられたる豊受皇大神宮(とようけくわうたいじんぐう)の如き、大国主神の分魂(わけみたま)大物主神の御告を信じて創立せられた官幣大社大三輪神社の如き、
天武天皇の天の御柱命、国の御柱命の御告を信じて創立せられた官幣大社龍田(たつた)神社の如き、
其外(そのほか)摂津の官幣大社広田神社(ひろた)は向津姫命(むかつひめのみこと)の御告に原(もと)づき、
同国(どうこく)官幣大社住吉神社(すみよし)は底筒之男(そこつつのを)、中筒之男(なかつつのを)、表筒之男(うはつつのを)三神(はしら)の御告に原(もと)づき、
官幣中社生田神社(いくた)は稚日女命(わかひるめのみこと)の御告に原(もと)づき、
官幣中社長田神社(ながた)は、事代主神(ことしろぬしのかみ)の御告に原(もと)づき、
官幣大社豊前(やぶぜん)の宇佐神宮は誉田別之命(ほんたわけのみこと)の御告に原づき、
国弊中社(こくへいちうしや)常陸国(ひたちのくに)の大洗磯崎神社(おほあらひいそざき)は大已貴命(おほなもちのみこと)の御告に原(もと)づき、
同国(どうこく)国弊中社酒列磯崎神社(さかつらいそさき)は少彦名命(すくなひこなのみこと)の御告に原(もと)づき、
各々(おのおの)創立せられたものである。
以上の如きは、皆信仰的成立である。
要するに尊崇的成立(そんすうてきせいりつ)の由緒に基づいたもので、信仰的成立は神の教に原(もと)づいて創立せられたものである。
而(しか)して其の教へたるや、子孫(しそん)若くは臣民(いんみん)に対する祖宗(そんそう)の遺訓であつて、之を尊奉(そんはう)履践(ふくせん)するは固(もと)より子孫臣民の義務である。
子孫臣民たるものが万一此の義務に背いた暁には、国体上須臾(しまらく)も欠(か)くべからざる天佑(てんいう)保全の道は皆無となつて仕舞ふのである。
人の教へつつある所の宗教は又別物で、之(これ)を信ずるも、信じないも、之に従ふも、従はないも、それは帝国憲法規定の通り真(しん)に人民の自由である。
帝国憲法第二十八に
『日本臣民ハ安寧秩序(あんねいちつじよ)ヲ妨ゲズ及ビ臣民タルノ義務ニ背カザル限(かぎり)ニ於(おい)テ信教ノ自由ヲ有ス』
と規定されてあるが、扨(さて)この信教の二字を解釈すれば、宗教を信ずると云ふの外(ほか)に意味は無いのである。
然(しか)らば安寧秩序を妨げないもの、臣民の義務に背かない者、以上は憲法規定の範囲内に於(おい)て、宗教の信否(しんぴ)去就(きよじう)が自由である。
然らば神の教へも、之を信ずると否とが自由であるかと云ふに、決して然(そ)うではない。
神の教は祖宗の命令的遺訓であるから、之が信否は固より国体の係(かかは)る所であつて、仮にも臣民の自由範囲に放任する事は出来ないのである。
明治三年正月三日宣布大教(だいけう)御詔勅(みことのり)に
『朕恭惟天神、天祖立極垂統列皇相承継之述之、祭政一致億兆同心治教明于上風俗美于下而中世以降、時有汚隆道有顕晦、治教之不洽也久矣、今也天運循環、百度維新、宜明治教以宜揚惟神之大道也因新命宣教使布教天下汝群臣衆庶、其体斯旨』
との、明治天皇の聖旨(せいし)を奉体するは臣民たるの大義務である事を忘れてはならない。
要するに神社に祭る所の神の教は、概して祖宗の命令的遺訓で宗教の教は、概して人間の立話である。
神は上下臣民一般の祖宗であるは勿論なれば、臣民はその遺訓を遵奉(そんぱう)するは当然の義務である。
宗教の教祖たる釈迦でも、耶蘇(やそ)でも、マホメットでも、黒住氏でも、金光氏でも、中山おみきさんでも、日蓮でも、空海でも、彼等は皆人間に相違ない。
その人間の立説に係(かかは)る宗教は、信仰自由として差支(さしつかへ)無いのである。
神の教は之を信仰して尊崇(そんすう)敬礼を厚くするのが、国体上の一大義務なることを忘れてはならぬ。
次に祈祷の事に就(つ)き、一言(ごん)せんに凡(およ)そ祭祀の礼典を挙行するに於て、全く祈祷的観念を含有(がんいう)して居ないものはない、彼(か)の官国弊社(くわんこくへいしや)に於て行はるる祈念祭なども、大なる国家の祈祷である。
然(しか)るに其の名称たるや、宗教家も亦(また)等しく祈祷すると云ふのであるが、そこで彼我(ひが)の差別を論究する時は、彼は要するに方便的で、之に依(よつ)て以(もつ)て人の精神を養ふ迄の者である。
仏教にまれ、大体有名無実のものに対して祈る祈祷であるから、利益のある道理がないので、彼の万葉集」にも
相思(あひおも)はぬ人を思ふは大寺の餓鬼のしりへにぬかづくがごと
とある如く、実に馬鹿気切(ばかげき)つた、獲まへ所のないものである。
我は要するに、祖宗に対して事を歎願的請求(たんぐわんてきせいきう)する訳であるから、之に依つて利益のあるのが当然である。
譬(たと)へば露西亜(ろしあ)の皇帝が軍人の為に、天帝に祈ると云ふのも、要するに軍人の心を信仰的に団結させて、而(しかし)て戦争に勝つと云ふ一編の精神を作るまでのものである。
斯(か)く論ずる時は人(ひと)或(あるひ)は曰(い)はん、綾部の真霊教も矢張(やつぱり)出口教長の立説であるから、固(もと)より方便的で、信仰自由なり、祈祷などは猶更(なほさら)無益なるべしと、之(これ)思はざるの甚(はなはだ)しきものである。
真霊教は現今行はれつつある宗教の如く人為的ではない。
皇祖皇宗の御遺訓を今や忘れんとするの世俗に警告せんとするものにして、所謂神教(みをしへ)である。
法規上止むを得ず宗教部内に加はつて居(を)るので、決して他の宗教のやうに信仰自由の範囲に放任して置く可(べ)きものでなく、我(わが)正史(せいし)に明らかに載せられたる天神(てんしん)地祇(ちぎ)の教、亦(また)特に国の元祖(もとおや)国常立尊の御教(みおしへ)を伝ふる真理活教であつて、日本臣民たる以上は、神社に祭られ玉へる神の教同様に信奉せなければならぬ。
我(わが)教長は、唯々(ただただ)神の命(めい)の隨々(まま)に筆を取りて皇道の大本(たいほん)を講明せられ、毫(がう)も私心私説を加へず、可惜世(あたらよ)に埋沈(まいちん)せんとする真教(しんけう)、所謂祖宗(そそう)の遺訓を中外に明かにし、神威霊徳を宇内(うだい)に宣揚せん為の神慮に依らせ玉へるものなれば、普通一般の宗教などと同一視すべきもので無いことを断言するのである。
(六)
現今我国に行はるる神道宗教は十三派の多きに達し、其(その)盛況(せいきゃう)は喜ぶ可(べ)しと雖(いへど)も、十中の八九まで殆ど偽善者の団体にして、敬神、尊皇愛国救世安民等、所在(あらゆる)美名(びめい)を楯に、白日公々然不正不義を敢行(かんかう)し、所謂羊頭(やうとう)を掲げて狗肉(くにく)を売る的山師(てきやまし)の巣窟たり。
白(いは)く麗はしく塗立(ぬりたて)たる雪隠同様なり、巻絵の汁器(じふき)に馬糞を盛りたるが如く、外観の美に反し内容の醜悪汚穢にして卑劣なる、言語に絶する者あり。
従って之等(これら)の宗教に属し布教伝道に従事せる数多(あまた)の教導職なるものを見るに、是亦(これまた)十中の八九は、無学(むがく)文盲(もんまう)常識を欠ける時代後れの田夫(でんぷ)野人(やじん)妖婦(えうふ)の類(たぐゐ)のみ、中にも稍(やや)文字ある者は概(おほむ)ね奸智(かんち)に長(た)け、詐偽的の行動を為(な)し、衆愚(しうぐ)を引率し大言(たいげん)壮語(さうご)未来の貫主を以(もっ)て自任し、派内に頭角を表はし、毒蛇の舌の其の如く世俗を傷害しつつあるあり。
猥(みだ)りに祈禱禁厭(まじなひ)神占(しんせん)等(とう)の末技(まつぎ)を弄(ろう)し、且つ荒唐無稽の囈語(たはごと)を吐き、恰(あだか)も神明の如く、天使の如く、言語動作共に壮重を装ひつつ信者の顔色を覗ひ、其の意志を肘度(そんど)し、愚婦愚婦(ぐふぐふ)を瞞着(まんちゃく)し以(もっ)て己が衣食の資に供しつつ、神聖なる教導職の本分を忘れて斯道(しだう)を汚濁するもの而巳(のみ)。
此等(これら)の輩は実に我神道の為に獅子身中(しんちう)の毒虫なりと謂ふ可(べ)し。
幾分にもせよ国史神典を解し、演説に説教に或は文筆を以て、斯道(しだう)を天下に宣揚せんとするの技能あるもの、十七万の頭臚中(とうろちう)果して幾十人かある。
誠に心細き次第ならずや。
偶(たまたま)之ありとするも、其の素行(そかう)にして治(をさま)らず、人の軌範となるに足らず、偏狭(へんけふ)奇癖(きへき)にして高慢に長じ、世の先覚者たる可(べ)き要職にありながら、世と共に推移する事さへも覚束(おぼつか)なきのみならず、天保時代の夢想(むさう)を繰返し、現時世俗の軽侮を受け、或(あるひ)は識者の嗤笑(しせう)を買ひ、殊に当該(たうがい)官衙(くわんが)は近来非常の疾視(しっし)を以て之(これ)を遇(ぐう)し、妄誕(まうたん)虚語(きょご)を慢(みだり)にして愚民を籠絡(ろうらく)し、変妖奇怪を神事に籍(か)りて私欲を逞(たくまし)ふし、治安を害するものとして検挙せられたるもの、全国の都市を通じて実に夥(おびただ)しき数に達せりと聞く、寧ろ痛快の至りと謂ひつ可(べ)き乎(か)。
此(かく)の如き偽教師(にせけうし)背徳漢(はいとくかん)は、容赦なく其の筋の尽力に依り、今後倍々(ますます)清掃(せいさう)されたき事にこそあれ、従来各教派に於て教職を補命するに当り、情実又は金銭の多少に由(よ)りて為(な)したりしかば、之が為に俳優にも難波節語(なにはぶしかたり)にも教正あり、大工(だいく)桶屋(をけや)にも講義あり、売卜者(ばいぼくしゃ)にも井戸掘人夫(ゐどぼりにんぷ)にも訓導等あり、以(もっ)て教導職の体面を汚がし、真価を失墜したる事、世俗の想像以外に在(あ)り。
斯界(しかい)此(かく)の如き状況なるを以て、世間の之(これ)を遇すること頗(すこぶ)る冷酷にして且つ蔑視(べっし)する事、売主僧(ばいす)以下(いか)にあるが如し。
茲(ここ)を以(もっ)て有為の人材は教導職たるを耻(は)づるの傾向を生じ、意志弱き輩は先を争ふて神職其の他顕要(けんえう)の地位を求め、転職するに至れり。
然(さ)れば我神道界一人の立って哲理を研究し、学識を養成し、実践以(もっ)て其の道を明かにし、論難(ろんなん)攻撃斯道(しだう)の研鑽に従事するもの無く、神道界の衰微(すゐび)此秋(このとき)より甚(はなは)だしきはなし。
是(これ)に反し、外教の徒は、盛(さかん)に布教の従事し、学校を興(おこ)し、議論を闘(たたか)はし、書冊を頒布(はんぷ)し、人物を養成し、在(あら)ゆる手段方法を講じて其道(そのみち)を天下に宣伝し、以て徐々に我が日本魂(やまとだましひ)を蚕食(さんしょく)し、国民固有の元気と美風を没却せしめずんば止(や)まざらんとせり。
亶(まこと)に痛嘆の至りなり。
吁(ああ)、皇祖、皇宗の伝へ給へる惟神の大道は、斯(かく)の如き状態にありて終(つひ)に世に埋没せんとするかと、思案に暮るるの余り、夜も安眠する事(こと)能(あた)はず、孤燈(ことう)の下(もと)に端座し国家の前途を想念する時、覚えず法然として泣下(きふか)し、血涙(けつるゐ)顋辺(しへん)に滂沱(ばうだ)たり。
彼(かの)神道教師等(ら)平素奉読(ほうどく)する処の三條の御教憲(ごけうけん)は、果して何んの心を以(もっ)て迎へ奉りつつ在(あ)る乎(か)。
斯道(しだう)の為一時も猶予す可(べか)らざるなり。
吾等(われら)教導の任にあるもの、今まで眠り居たらんには、此時宜しく覚醒す可(べ)し。
今まで怠り居たらんには、此際宜しく奮起すべしと、王仁(わに)は初めて決心の臍(ほぞ)を固め、毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)を度外に置き、皇道霊学の教旗を翻(ひるが)へし、勇気を鼓(こぶ)し、神道家に向って覚醒を促(うなが)す事数年に及ぶと雖(いへど)も、盲目千人の世の中、恰(あたか)も木石に向って説くが如く軽微の反応ある無く、全く道義心の麻痺せるにはあらざる乎(か)と疑はれ、余りに無神経無節操(むせっせい)にして無気力なる、到底天下の大事を計るに足るもの無きを看破したり。
然(しか)りと雖も王仁(わに)が心中に抱へたる一片の報告心は、如何(いか)にもして所信を断行し、有終の美を済(な)す迄は、絶壁前に聳(そび)ゆるとも、白刃頭上(はくじんづじゃう)に閃(ひらめ)くとも、真理の為には一歩も退却せず、倒れて而(しかし)て後(のち)に止(や)むの決心なれば、何(いづ)れの道より進むも君国に尽す精神に於て違変(ゐへん)有る無く、只々(たまたま)皇道の真髄を宇内(うだい)に輝かすを得ば足れりと思惟し、断然神道宗教界を脱し、更に某官幣社神職を奉仕したりき。
元来王仁(わに)が理想たるや、官国弊社の神職なるものは、至って清潔にして汚穢(をわい)に浸染せず、至誠神明に奉仕し、国家の崇祀(すうし)に任ずるものにして、相当に国家の待遇あり資格あるを以て、比較的高尚なる人物や、敬神尊皇愛国の精神を有し、斯道(このみち)の為に尽すの人士も在らんかと、日夜想像せしを以てなり。
然(しか)るに王仁(わに)が理想は全然水泡に帰(き)したり。
如何(いかん)となれば、現今官幣社神職の多数は、無能無智一人として立って国民を指導し、皇室の尊厳を維持し、皇道を天下に拡充せんとするの勇者なく、共に天下の大事を語るに足らず、朝(あした)に日供(ひきょう)を献徹し、夕べに賽銭を勘定して能事(のうじ)終(をわ)れりと為(な)すもの而巳。
其の他飲酒に耽(ふけ)り、青櫓(せいろ)に昇り、賤妓(せんぎ)に浮れ、放逸不行の生涯を送るもの多数を占め、中にも尤(もっと)も優れたるものは、僅かに和歌を咏(えい)じ悪詩を綴(つづ)り、以て己が才学を誇るのみ。
一身一家の名利栄達を計るより外に、一片の報国心を有するなく、王仁は最初の予期に反し、大いに失望落胆するに至れり。
要するに官国弊社神職の大部分は、僅少にもせよ其の棒給は一家の生計を支うる事を得(う)るを以て、安堵し、只其の職に恋々として地方官吏の鼻息を覗ひ、上職に媚諂(へつら)ひ、偶(たまたま)心中に一の抱負を有するあるも、後生大事の為に、言語に発し筆紙(ひつし)に托して平素の初志を宣言する事を躊躇せる臆病者と化し去りしなる可(べ)く、外教の跋扈するあるも恬(てん)として顧(かへり)みざるは神道家の地位としては、実に冷淡極まれりと云ふ可し。
然(しか)りと雖(いへど)も退而熟考(しりぞいてじっかう)する時は、亦(また)実に止むを得ざるの事情あるなり。
抑(そもその)官国弊社の神官神職たるや、恰(あだか)も官吏(くわんり)が国家の機関として法律上一定の棒給を得、司法(しはふ)若(もし)くは、行政事務の一部を分掌(ぶんしゃう)する如く、固(もと)より信仰の有無に関せず、一定の報酬を得て以(もっ)て直接国家の崇祀(すうし)に奉仕し、国家の礼典を司掌(ししゃう)するの義務を有する者なれば、神社の氏子以外に信徒の依頼を受け、惟神(ゐしん)の霊法を施行し、衆庶(しうしょ)を接化補導し或(あるひ)は結合するを得ず、自由に各地へ巡教する事(こと)能(あた)はず、神社内に戦々恐々只管(ひたすら)パンの種に離れざらん事を憂うるのみ。
一挙手一投足の行動も亦(また)四面(めん)に心を配り、社頭に侍(さぶら)ふ高麗狗(こまいぬ)の如く、社前に慎み畏み仕へ奉るより外(ほか)に活動の余地なきを、如何(いかに)せん。
到底官国弊社の神職として、皇道を宇内に宣揚布演するの至難、否(いな)絶対的に不可能なるを看取したる王仁(わに)は、邦家(はうか)の為に、一日も其の職に止(とど)まり貴重の光陰を空費するの惜しきを覚り、心の駒の歩む儘、断然意を決し、直ちに辞表を呈出(ていしゅつ)し、幸ひに許可を得たれば再び神道宗教に逆戻りを為(な)し、年来主張せる皇道霊学に拠(よ)り、大いに天下に雄飛(ゆうひ)活躍せんとする折しも、某教管長王仁(わに)を招いて曰く、余(よ)嘗(かつ)て官国弊社に職を奉じ神祇(しんぎ)に奉仕する事前後四十余年、されど神職の地位たる、教導職の如く自由自在に国の内外を問はず接化補導の任を尽すに適せず、陛下の臣子(しんし)として皇国刻下の状況に想到(さうたつ)する時は、斯道家(しだうか)たるもの黙視するに忍びず、断然宮司の職を辞し、幸ひに今や一教の貫主として、君国の為、斯教(このおしへ)の為に尽さんと日夜孜々(しし)として活動しつつあり。
然(しか)りと雖(いへど)も世の中は一に人物なり、二に金なり、其第一位たる人物無きを如何(いかに)せん。
聞く貴下(きか)は官幣社神職として社務(しゃむ)繫多(はんた)なるにも拘(かか)はらず、斯道(このみち)の拡張に熱心にして、接化輔導に最も堪能なりと、願(ねがは)くは貴下(きか)余(よ)が代理となり、且(か)つ本教の総理となり、共に相提携して惟神(ゐしん)の大道を宇内に宣揚(せんやう)せんには、如何(いか)なる内邪の仇も外邪の敵も、忽(たちまち)にして旭日(あさひ)に露の消ゆるが如くなる可(べ)し云々(うんぬん)と、一言(ごん)一句(く)悉(ことごと)く王仁(わに)が肺腑(はいふ)に浸潤(しんじゅん)するにぞ、予(かつ)ての思望に適合せると歓び、直(ただち)に其請(そのこひ)を容(い)れて入教し、殆(ほとん)ど二十箇月心魂を消磨(せうま)し、教勢の挽回策を講じ、教風の改革を計ると雖(いへど)も、元来醜悪の団結なれば、事情纏綿(てんめん)容易に手を下すの余地なく、腐敗堕落の極に達せる部内数万の教師は、却(かへっ)て正義公道を忌(いな)み懼(おそ)るるが如く、王仁(わに)を目(もく)して私慾を営む為めに大妨害者となし、暗々裡(あんあんり)に力を極めて排斥し、表面畏敬するが如く尊信するが如く欽慕(きんぼ)愛服(あいふく)せるが如き状態を示し、以(もっ)て介意(かいい)懸念なからしめ、而(しかし)て裏面には満腔(まんくう)の機智(きち)権変(けんぺん)を運用し、奸謀(かんばう)奇計(きけい)を講究し、時機の熟するを待つといふ危険なる人物のみ。
斯(かか)る教派に一身を托するも労して功無きのみならず、恰(あたか)も颶風(ぐふう)に軽舸(けいが)を馳(は)せて岩礁点綴(てんてつ)の間を進航するが如し、派内の廓清(くわくせい)などは思ひも寄らぬ難事にして、今日(こんにち)の場合自然の成行(なりゆき)に任すの外(ほか)道(みち)なしと断念し、茲(ここ)に弥々(いよいよ)独立独歩、従来唱へ来たりし皇道霊学会の主旨に拠(よ)り、其の組織を改めて新たに直霊軍(ちょくれいぐん)と称し、天下に鵬翼(はうよく)を張らんとす。
抑(そもそも)本軍の目的たる、固(もと)より治国安民にあり。
斯(かか)る大事業を遂行せんと欲せば、必ず千里独行の決心を以(もっ)て、万難に撓(たゆ)まず屈せず、勝利の都会(みやこ)に達する迄は、仮令(たとへ)如何なる蹉跌(きてつ)失敗危険等の襲来するある共、百も千も覚悟の上なり。
堅忍(けんにん)持久以(もっ)て他の制裁を受けず、他の扶助を蒙(かうむ)らず、本軍同志と共に独立の体面を保持し、本軍独特惟神(ゐしん)の妙法に依拠(いきょ)し、細矛千足(くわちほこちたる)の国の神さびを宇内に宣伝し、発揮せずんば、死すとも退却せざるの精神なり。
願くは天下憂国の志士賢婦、この挙を賛し速やかに来たって、本軍に参加し、神の兵士として奮戦激闘せられん事を。
(明治四二、二、一五 直霊軍 第一号)
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