天祖の大予言
仏教家の人を誘ひ、以(もつ)て其(その)教(をしへ)に入(い)らしめんとするや、実に巧(たく)みなりと謂(い)ふべし。
賢人智者を誘導するには、最も高遠にして難解の教理を以てし、愚俗者(ぐぞくしや)を誘導するには、禍福(くわふく)因果の談(はなし)を以てし、其(その)嚮(むか)ふ所に従ひ、方便を設けて之(これ)を導き、その哀傷(あいしやう)憤怨(ふんゑん)の際に乗じて之を説得す。
故に世人(せじん)の多くは、其所説に酔(ゑ)ひ迷ひて、自ら之を悟らず。
然(しか)るに仏者の言ふ所は、皆これ憑虚捏造風(ひようきよねつざうかぜ)を捉へ影を捕ふるが如く、一の証顕(しようけん)有るに非ず。
少しく識見を有する者は、固(もと)より以て其妄説たるを知るに足る可(べ)し。
基督(キリスト)の徒(と)に至つては、其術(じゆつ)更に巧妙を極む、以為事(もつてことをなす)証顕(しようけん)無ければ、則(すなは)ち人をして信従せしむるを得ず。
是(これ)を以て証験(しようけん)二項を立て、以て其空理空論に非ざるを表明す。
一は先知予言、後事(こうじ)応験を以て証拠と為し、一は非常神蹟、衆人共見(きようけん)を以て証拠と為す。
是を以て、其教理洋(やう)の東西に蔓延し、識者と雖(いへど)も亦(また)或(あるひ)は固信して之に従ふに至れり。
然(しか)りと雖(いへど)も近世に至つて、人智(じんち)日に開け月に進み、格物(かくぶつ)究理の学術益々進むに及びて、基督教の諸々の異能を現はすは、固(もと)より其(その)徒の伝導の方便的偽造に出(い)で、又彼(か)の神の奇蹟なるものは、奇異(きい)驚く可(べ)きが如しと雖(いへど)も、亦(また)皆(みな)山海(さんかい)の形勢、大気の変動及び機械、薬品の致す所にして、決して神の為す所に非ざるを知るに至り、彼(か)の徒(と)の狼狽(らうばい)為す所を知らず、遂には種々の苦策を巡らし、救貧(きうひん)施療(せれう)等(とう)の社会的事業に、慈善的仮面を被りて、僅かに教理布衍(ふえん)の命脈を維持するの止(や)むを得ざるに至れり。
且(か)つ又その予言なるものは、其(その)所謂聖書に就(つい)て之を考ふるに、或(あるひ)は夢寐(むび)恍惚、殆ど捕捉すべからず。
或は譬喩(ひゆ)曖昧の記事を挙げ、或は擬似両端の事を録し、或は荒唐(くわうたう)無稽(むけい)解す可(べか)らざるの語を載せたり。
後世(こうせい)彼(かの)徒(と)の有力者は、種々苦心の結果、乃(すなは)ち之を牽強(けんきやう)し、之を附会(ふくわい)し、曰く是(こ)れ某時(ぼうじ)の予言なり、之(こ)れ某人(ぼうじん)の予言なりと。
夫(そ)の予言と称するもの、亦(また)竟(つひ)に確拠(かくきよ)明徴(めいちよう)有り、以て信従するに足るもの有るに非ず。
夫(そ)れ予言と曰ひ、神の奇蹟と云ひ、一として信従するに足らざるは、業(すで)に已(すで)に斯(かく)の如し、故に洋人(やうじん)と雖(いへど)も、知識階級の人士は、亦(また)多く其(その)妄虚たるを暁(さと)るに至れり。
是(これ)を以て基督教の今日(こんにち)の勢力、亦(また)古事(こじ)の隆盛なるに若(し)かず、殆ど将(まさ)に廃滅せむとするの兆候あり。
古(いにしへ)の信徒は、唯単に神の予言と神の奇蹟を以て、其の信仰の眼目となせしが、人文開明の今日にては、却(かへつ)て其予言及び神蹟に因(よ)りて、同教の廃滅を兆(きざ)すに到れり。
則(すなは)ち予言と神蹟の説示は、是(これ)将(まさ)に同教を頽廃(たいはい)せしむるものなり。
然るに我皇国の教は、其(その)予言と神蹟を説かざりしか。
曰(いは)く否(いな)、皇国の教は古昔(こせき)に在(あ)りては、即ち予言と神蹟を説く事稀(まれ)なりと雖(いへど)も、国祖国常立尊の、地の高天原に顕現し給ひし聖代に在りては、即ち予言と神蹟を説き国民を指導するの急務なるを信ず。
古(いにしへ)の学者は天壌無窮(てんじやうむきう)の予言と、万世一系の神蹟を説きしもの尠(すくな)く、故に皇道の教理、未だ万国に弘布せざりき、今や天運循環の神律に因(よ)り、天祖の予言と神蹟、並びに国祖の神訓(しんくん)神蹟(しんせき)を、説く可(べ)き時機の到達せるを知る。
皇道の大本、皇祖皇宗の御遺訓神蹟にして、明確に宣布されむか、世界万国の民亦(また)必ず、相(あひ)率ゐて皇道の教理に帰順すべし。
如何(いかん)となれば其(その)予言と神蹟は、確拠明徴あり。
以て大(おほい)に信従するに足るものあるを以てなり。
請(こ)ふ其(その)説を言はむ。
皇典に曰く
『豊葦原千五百秋(ちいほあき)之(の)瑞穂国(みづほのくに)は、是(こ)れ吾(わが)子孫の王(きみ)たるべきの地なり。
爾(なんぢ)皇孫就(つ)きて治む可(べ)し。
行(ゆ)け宝祚(ほうそ)之(の)隆(さかえ)当(まさ)に天壌と窮(きは)まり無かる可(べ)し矣』
此(この)言(げん)や、是(これ)天祖の天孫に勅命し玉ふ所なり、天孫彦火々瓊々杵(ひこほほににぎの)命(みこと)、此の神勅を奉じて下土(かど)に降臨し給ひし以来、皇統連綿として万世一系に渡らせられ、宝祚(ほうそ)の隆(さかん)なる事、果して天祖の神勅の如し。
是(こ)れ豈(あ)に偶然ならむや、是れ豈(あ)に確拠(かくきよ)明徴(めいちよう)、以(もつ)て信従するに足るものにあらずや。
此の大神勅、即ち吾人の所謂予言は、然も基督教予言の比に非ざるなり。
故に曰く、基督教は予言に因りて廃滅し、皇国の教則ち皇道は、必然予言を以て興隆すべしと。
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