大祓祝詞解義
第三文明会・皇学研究所
大祓祝詞の作成年代は不詳であるが、神武天皇の頃までに用いられており、最後に柿本人麿の修辞によって今日見る如き美文の体裁となったと伝えられる。
竹内文献、阿部文献等によると、その昔神代の鵜 草葺不合朝三十八代天津太祝詞子あまつふとのりとご天皇がこの大祓の作成者であったと伝えられている。
その年代は正確には判らないが、神武紀元前千年程のことと推定される。
旧約聖書の律法トーラとして出埃及エジプト記、利未レビ記に大祓祝詞の一部の詳細な解説が載っている。
大祓で意味が判らないところは聖書を読めば判るようになっている。
イスラエルの予言者モーセが来朝留学したのは鵜草葺不合朝六十九代神足別豊鋤かんたるわけとよすき天皇の御宇であって、当時すでに日本の朝野に大祓祝詞が行われていたから、モーセは所謂ヘブライの三種の神宝を授かり、彼がイスラエルの民を養ったと言われるマナMannaである言霊を教わったと同時に、神道の教典の一つである大祓を学んでいった。
この事は神道とキリスト教、ユダヤ教、マホメット教との関連を明らかにし、またモーセが日本へ来て神道を学んだということの証拠であると共に、大祓祝詞がすでに存在していた年代を知る一つのよすがでもある。
この事についてはいずれ後述する。
大祓祝詞の内容として何が述べられているかというと
一) 日本肇国の歴史
二) 肇国の形而上原理、すなわち日本国体原理
三) 天孫降臨以後、特に神武維新以後、仏教の所謂正法が隠没して像法末法の時代に入った時、世界に出現して来る矛盾、混乱、 顛倒想、罪穢の意義についての形而上、形而下の解説
四) 歴史が降下した末法時代の究極において、人類が顛倒夢想を離脱し、罪穢を浄化し、世界の禍害を根絶して、元の神代ながらの平和な正法の世界に還るための操作、すなわち今日まで仏陀の出涅槃下生、
五) キリストの再臨、天の岩戸開き、天孫降臨等々と予告されてきた事態を実施するための処置法
六) その来るべき正法時代における世界文明の経営方法 等の広汎な内容
が簡潔な美文をもって、まことに要領よく述べられているのである。
すなわち大祓は四千年前すでに世界が今日の事態に到達すべき事を予定して、その処理法を禍がまだ現れぬ時代から、呪文の形式をもって教えてある皇祖皇宗天津日嗣の経綸の予定書であり、その指導書の一つである。
日本人はこの神代の天津日嗣の勅語の形をもってする予言、あるいは企画、予定書をこの長年月を通じて、朝野共に護持誦唱しながら今日に及んだ。
大祓祝詞の呪文を釈いて、その予告と原理を実施して、これによって神代以後に興隆した人類の第二文明である物質科学文明を指導し、これに生命的意義をあらしめて、以く物心、主客、霊肉両般にわたる唇歯輔車の文明を完成しなければならぬ時が現在である。
大祓の儀式については大宝令の神祇令に
「凡そ六月みなつき 、十二月しわす 晦日つごもりの大祓は東西(大和、河内)の文部祓刀を上りたてまつ 、祓詞を読む、百官男女 を祓所に聚集し、中臣祓詞を宣り、卜部解除はらえを為す」
とある。
延喜式によるとこの時
「御麻」「荒世あらよ 、和世にごよ」「壺」等の「御贖みあか」の儀が行われ、
その時宜陽殿の南頭にて奏せられる宣命が即ち大祓祝詞である。
現今神社神道や宗派神道においては神前で神官が神を対象として奏上する形式で用いられているが、これは仏教の誦経の形に擬なぞらえたものといえよう。
本来大祓は天皇から百官人民に発令された勅令であって、見えない神を相手にして人民が祈願する言葉ではなく、天津日嗣から国民に向かって発令された指令であり、予言である。
本冊子は大祓祝詞講義の概要であって、
大祓の正確詳細な実践は古事記の「禊祓」であるから、
そのためには是非とも言霊百神の原理を理解することが必須である。
この講義を理解するためには併せて本会発行の
「第三文明への通路」及び「古事記解義言霊百神」を閲読されて、
天津日嗣の世界経綸の歴史とその経綸の原理
すなわち言霊布斗麻邇三種の神器の法理を把握することが前提であることを申添えて置く。
六月(みなつき)晦日(つごもり)大祓
集侍(うごな)はれる、親王(みこ) 、諸王(おおきみ) 、諸臣(まえつきみ) 、百官人達(ももつかさびと)諸聞召せと宣る。
天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕え奉る、比禮(ひれ)挂(か)くる伴男(とものお) 、手襁(たすき)挂(か)くる伴男、靭(ゆき)負(ま)ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十伴男を始めて、官(つかさ)々に仕え奉る人達の、過ち犯しけむ雑(くさぐさ)の罪を、今年の六月晦の大祓に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸聞召せと宣る
これは大祓の序文である。
「 皇(すめら)は神にてませば天雲の雷(いかづち)の上にいほりするかも」と万葉に詠まれている天皇は布斗麻邇をアオウエイまたはアイウエオと並べる観念の上で「ア」の位に在しまし、アは「阿(あ)字本不生」といわれ、「南無阿弥陀仏」であり、神であり、仏である。
その下に四伴男(長官)がある。
「比礼」とは言霊(ひ)五十音をあらわした神代の神名(かな)文字のことである。
これに
龍形文字(蛇の比礼)、
大八島文字(蜂の比礼)、
楔形文字(百足の比礼)、
象形文字(種々物の比礼)等の種類がある。
すべてアイウエオ五十音すなわち五十鈴(いすず)の表音文字であり、
これを麻邇字(まにな)すなわち布斗麻邇文字という。
この五十音言霊図が仏教のいう一切種智を表現した曼荼羅(マンダラ)である。
キリスト教ではこの五十音をマナ Manna という。
すなわちモーセがこれをもってイスラエルの民の魂を養った所のもので、
聖書には「神の口より出ずる言葉」と記されてある。
「比礼挂くる」 とはこの五十音の図表(曼荼羅 、天の斑馬まだらこま)を掲げることである。
手襁とは手次すなわち手の指を次々に動かして教えることで、
一二三四五六七八九十(十拳剱)、
一二三四五六七八九(九拳剱)、
一二三 四五六七八(八拳剱)
の数をもって法界の実在実相である言霊を
位置師(くらいおかし) 、
時置師(ときおかし) 、
処置師(ところおかし)すること、すなわち万物の時処位を確定し運用する道である。
言霊の典型は天照大御神の八咫鏡を最勝の法とする仏教の阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)、
神道の三貴子(みはしらのうずみこ)=(天照大御神、月読命、須佐之男命)の典範である。
この中で八咫鏡を朝廷(あさにわ)または沙廷(さにわ)という。
言霊アからサまでの配列として示されたものであるからアサ(麻)という。
これが人間のあらゆる霊魂、主義、思想を審判する一切種智に基づく根本の人間精神の法典である。
靭は矢の容れ物であり、矢は言霊が飛び行く様、言語の象徴である。
比礼、手襁によって明らかにされた天照大御神すなわち皇孫命の命令教示を直接の言霊麻邇ではなく、概念、象徴、比喩等の方法をもって詳述して、所謂憲法、法律や、道徳律として発表宣布する役目が「靭負ふ伴男」である。
剱はツルギであるが、神道の剱は必ずしも鋼の意味ではなく、霊剱、 神剱である。
その実体は前記の十拳剱、九拳剱、八拳剱であって、哲学上のその正体は判断及び判断力である。
仏教では般若といい、不動明王の智剱という。
日本武尊が倭姫命より給わった「節刀」としての草薙剱である。
この剱をもって万機の実際を裁断し、処理する。
これを 政(まつりごと)という。
政はすなわち祭(まつり)である。
剱は釣る気(き)の義でもあって、 まつり万機を八咫鏡に真釣り合わせて調和せしむる事である。
かくの如く「ア段」に位する天皇の下に四伴男がいて活動する。
「比礼挂くる伴男」は言霊イ。
「手襁挂くる伴男」は言霊エ。
「靭負ふ伴男」 は言霊オ。
「剱佩く伴男」は言霊ウ
を取扱う役目で、この四伴男は後述する「祓戸四柱神」に当る。
高天原に神留ります、皇親神漏岐神漏美(すめらがむつ かむろぎ かむろみ)の命以ちて、八百万神等を神集へに集へ賜ひ、神議(はか)りに議りたまひて、我 皇孫命(すめみま)は、豊葦原の水穂国を、安国と平けく知しめせと事依(よ)さし奉(まつ)りき。
太古神代の精神文明の歴史的発祥地としての高天原は、或はチベットか、パミール、イラン辺りにあったかも知れない。
或はこの日本であったかも知れない。
本当の歴史はまだ不明である。
哲学宗教的にいう高天原とは
「其の清(す)み陽(あきらか)なるものはたなびきて天となり」(日本書紀)
とある現象界に超越した純精神界、実在界、法界のことである。
その場所を生理的に見る時、其処はすなわち人間の頭脳である。
「オツム(頭)テンテン(天)」と日本の小児が母親から教えられる。
更に「チョチ チョチ(手拍ち手拍ち)アワワ(吾、我、和)」という。
その手拍ちは十指をもって二拍手するから二十(ふと)であり、布斗麻邇である。
吾、我は岐美であり、二神であって、吾我和はその御子産みの産霊である。
神すなわち人間の精神的性能としての生命の自覚の要素の全局はその精神界、すなわち生理的肉体的には頭脳の中に詰(塞、留)っており、それ以上でもなく、それ以下でもなく、充実充満し、神留り坐している。
この人間の精神性能の全局の把握態を「久遠実乗の釈迦牟尼仏」(寿量品)という。
「神漏」は神室(かむろ)である。
形而上の宇宙法界の事であり、同時に神が坐します室である頭脳の思索中枢のことである。
この神室は陰陽、主客の両儀に分れる。
神漏岐は伊邪那岐(高御産巣日)、神漏美は伊邪那美(神産巣日)である。
岐波は気であり、美は身である。
宇宙は最初に言霊ウと現われて、そのウから剖判を開始することによって、先ず主体の岐(アオウエイ)と客体の美(ワヲウヱヰ)の二つに分れる。
易ではこれを陰陽両儀という。
「八百万神」を種智、麻邇、言霊の内容及び、その操作法と見てもよく、またこれを取扱う人間、 命(みこと) 、天皇の御手代、百官のことと取ってもよい。
その昔世界の地理的高天原に有ったと推測される太古の精神文明の研究機関の傘下に、沢山の聖人覚者(聖知り)が集まって、思索を続けて、最後に人類の持つ一切種智と、その綜合体系である阿耨多羅三藐三菩提、三貴子の原理を究尽完成するに至ったまでには、凡そ幾千年の歳月に亘る努力を要した事だったろうか。
この間の消息 を我々は近代物質科学が今日の完成に近い域に達するまでの数千年にわたる過程に比べて考えてみることによって類推することが叶うであろう。
太古の精神霊魂と近代の物質科学というこの二つの文明は、その立場において、精神現象と物質現象の相違があるだけで、宇宙の生命活動を取扱う学としては実はまったく同一のものであり、表裏をなすものであり、その表裏の答えは相似形をなすものでなければならない。
こうした仏説では十劫(大通知勝仏)、五劫(阿弥陀仏)ともいわれる長年月の思惟の結果、その最後の全体会議の結論として、仁仁杵命がその研究団体の責任者、代表者として、高天原の形而上の原理の全内容を三種の神器として携えて、この文明の道理を、当時未開蒙昧で渾沌たる生活を送っていた民衆に教伝し、その道理をもって合理的な社会を組織経営するために、聖人達の集団を伴って、その世界の高原地域高天原から降ってきた。
およそ一万年昔の事である。
この事が神道でいう天孫降臨であり、すなわち天津日嗣の発祥である。
この時天孫降臨には二段階の過程があった。
仏説の一切種智を組織した三菩提の本尊を天照大御神(大日如来)という。
この天照大御神の原理を麻邇名、言霊をもって顕わした姿を天忍穂耳命という。
「穂」は五十音言霊(い な ほ)であり、「耳」は聞し召す意味である。
仁仁杵命(ににぎのみこと)は忍穂耳命の御子であり、天照大御神の孫に当る。
仁は数字の二であり、似、邇、近であって、邇邇芸とは生命の第二次的な、更に第二次的な、芸術ということであり、人類の第三芸術はすなわち国家、社会である。
仁仁杵命はその第三芸術の創始者、経営者である。
「豊葦原水穂国」は布斗麻邇の顕現として展開される精神界としての形而上の全宇宙である。
これを表現している漢字は呪文であり象徴であるから、呪文を釈かなければ本義は現れない。
呪文の表面の意味に捕われて、これをいきなり
「葦が茂った湿原、稲が水々しく実る国」など、解釈することは
形而上の世界をわきまえぬ単純幼稚な考えであって、学問にはならない。
今日までの神道家、国学者と称する者には この種の軽率者が多い。
「豊」とはアイエオウ・ワ・ヒチシキミリイニ(風地火水空、法、乾兌離震巽坎艮坤)の母音、父韻の十四音であり、数的には 8 + 6 = 14 でもある。
「葦原」とは言霊アよりシに至る一切種智が存在する宇宙の広場(原)であり、
「水穂」とは水火(みずほ)すなわち陰陽の義でもあり、
稲穂五十音言霊が瑞々しく実っている布斗麻邇の世界ということでもある。
天孫仁仁杵命が降臨された所は第三次的な文明の世界であって、生み出されたままの自然界ではない。
文明は人間精神の具現として発祥し発達し展開し経綸される。
科学文明もまたもとより精神の所産であって、ただ科学の場合はその自己創造の知的、内面的、主動的な原因を捨象し、現象だけを抽象している。
その自ら行っている捨象作用を忘れていることが現代科学文明の行き詰りの原因であるともいえる。
また捨象された反面の真理すなわち科学を科学している主体の真理に気付くことが、科学が完成されるための不可欠の方法であるのである。
豊葦原水穂国、一切種智、三菩提、三種の神器、三貴子として
全宇宙を形而上の法界として精神の上に把握し、
その原理を自己の生命が存在する宝庫、高御産、仏陀の蓮華台として、その上に時処位して、この原理を用いて人類社会の経営する者が世界の王の王、天津日嗣天皇である。
仏説ではこれを転輪聖王という。
斯(よさし)く依し奉りし国中に、荒ぶる神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神祓ひに祓ひて、言問ひし磐根樹根(いわね き ね)立、草の片葉(かきは)をも言止めて、天の磐座放ち、天の八重雲を巌の千別(ちわき)に千別きて、天降し依し奉りき。
天孫降臨以前の世界の様相を古事記は
「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、甚(いた)くさやぎてありけり」
と述べている。
またこの頃の地上の現実世界には天孫降臨以前に高天原から分離していって、豫母都(よもつ)国(四方津国)を経営していた荒振る神である須佐之男命とその後継者大国主命の天津金木思想が基調となっているところの自己の感覚(言霊ウ) を中心として動いている身勝手なセクショナリズム、生存競争、覇道 主義、権力主義の無軌道な思想が横行していた。
そうした須佐之男命の覇道主義時代における人間の生命の動きの様相、すなわちその須佐之男命の性格、神格を一切種智である言霊をもって捕らえ示した五十音の配列を天津金木という。
また「荒」の音図 ともいう。
この五十音図はアからラまでの間に展開するからアラ(荒) である。
キリスト教ではこの思想が横行する世界を「荒野」wildernessと呼んでいる。
「天国は近づけり、生の道を直くせよと荒野に叫ぶ声あり」
(馬可伝マルコ)とある所である。
人間のすべての思想の体系展相はこのように麻邇五十音の配列によって簡単適格に整理表現することが出来る。
カントの哲学体系も、マルクスの唯物史観も、トインビーの歴史哲学も然りである。
この事が神道の一切種智活用の妙である。
繰返すが荒の音図はその時置師、時間の展相が アカサタナハマヤラ であって、
アからラまでの配列であるから「あら」と云ひ、また
カからラまでであるから「から」(唐、空くう)とも韓鋤(からさび)の太刀ともいう。
アラの世界観を振う(布留、運用する)故に「荒振る神」という。
天孫降臨の際における須佐之男命の荒の思想の後継者大国主命との折衝や、
武甕槌(たけみかづち)神と建御名方(たけみなかた)神との争いは、現実の戦争ではない。
生命の全局の主体性に則った高天原の思想と、言霊ウである現実の現象の間に跼蹐(きょくせき)する地上の覇道思想、生存競争とが、その合理性を生命の知慧である麻邇の運用の上において較べ合った議論の上の戦であった。
この結果自己の世界観、社会経営法が不完全なものであることを率直に納得して、
大国主命、言代主命、建御名方神は爾後天孫の道法を遵守することを誓約し、
世界の指導を天孫の高天原の原理の前に譲渡した。
この事を「言向け和はし」といい、「国譲り」という。
「言問ひし」は大国主命、建御名方神等が質問論議をしかけたことである。
「磐根」は五葉音(いわね)で、地水風火空とか木火土金水とかの如く、
実在である五母音アイウエオのみに立脚して、実相の律である八父韻の原理を欠除した言語である。
また所謂弁証法思想のことでもある。
「樹根」を気音(きね)と釈けば感情論のことであり、例えば末法時代の宗教的信仰がこれである。
「草の片葉」とは雑々(くさぐさ)の書いた言葉、即ち麻邇字(まにな)にあらざる、例えば漢字などのような種々の外国文字であり、延いては書物として著わされた様々な主義思想のことである。
この様にしてその当時世界に行われていたであろう、一切種智、言霊に立脚しない そうした言語、文字、思想の使用を一旦 悉(ことごと)く停止した(言止めた) わけであった。
斯くして世界は聖書に記されてある如く
「全地は一つの言葉、一つの音のみなりき」(創世記)
という統一された姿にまとまった。
その初めの一つの言葉はウであるが、そのウが実相をあらわして五十音である一系列の言語に展開する。
その五十音全体もまた一つの言葉、一つの組織の言葉である。
古事記の「天地初発」の音がウであるが、その初発とは人類学、考古学、天文学上の始まりのことではない。
恒常の「中今」であるその今が今はじまるその初めの消息である。
その初めのウが今展開し、その今の全内容が五十音麻邇であり、エデンの園である。
「天の磐座」は五十葉座(いわくら)であり、すなわち五十音種智の組織、天の斑馬である。
これを簡単に五葉座とすれば、アオウエイの五母音であって、宇宙に「鳴り鳴りて鳴り合はぬ」大自然の実在、 梵ブラーマ(地水風火空)の音である。
このブラーマから五十音が生まれて来る。
また磐座を天津磐境(いわさか)の意味に取れば、古事記冒頭の先天十七神、十七音に当る。
法華経で多宝仏というのはこの天津磐境のことである。
易ではこれを河図、洛書として、実在すなわち母音と、現象の節理である父韻の両面に数をもって顕示し、両者を組合わせたものを太極図(周簾渓)という。
易では理を示すに数によって、直接言霊は使わない。
この場合天の磐座を天津磐境の義と取ることが適当である。
即ち「天の磐座放ち」とは天孫降臨の時にこの生命の太極と、その太極から発する始原の先天、先験(アプリオリ)の原理が初めて世界に開示されたということである。
「天の八重雲」に似た言葉に「出雲八重垣」がある。
須佐之男命、大国主命の国土経営のやり方を「天津金木」という。
世界がカサタナハマヤラの順序で運営されることで、これが出雲風土記にある大国主命の「国曵き」の原理である。
それと同時にこれは一九七〇年の現代において全世界が経営されいる文明操作の基礎的趨勢せもある。
この趨勢がかつて天孫降臨以前における非生命的、非理性的時代の趨勢であって、この世界と社会における人間の生命不在、生命無視、生命無 自覚の傾向を合理化することが天孫降臨の目的であった。
またこの事は後段「天津金木を本打ち切り末打ち断ち」とある大祓祝詞自体の仕事である。 各自の主観的、感覚的恣意の赴くままに、覇道思想、弱肉強食、生存競争の地獄相を現出して、結局自分自身をも共に滅ぼしてしまう天津金木の思想的趨勢がすなわち出雲八重垣であって、この八重垣の法を生命化し合理化した姿が「天の八重雲」である。
これは八重垣を組み替え天孫降臨て八重雲にすることである。
この組み替えの操作を「巌の千別き」という。
千別きは道(ち)を別けるである。
大祓には最初に「出雲八重垣」を「天の八重雲」に組み替えることが述べられ、
次に「天津金木」を「天津太祝詞」に組直すことが説かれている。
両者の意義は全く同じ事であって、
この事が繰返し二度説かれている事に注意しなければならない。
前者は神代の始まりの天孫降臨の歴史を述べたものであり、後者はその原理を更に詳述したものであると共に、来るべき時代における罪穢の処理法の予言であり、将来に向かって発せられた勅令である。
すなわち今日における「天の岩戸開き」の教示である。
斯く依し奉りし四方の国中と、大倭日高見国を、安国と定め奉りて、
下津磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木(ちぎ)高知りて、
皇孫命の瑞の御舎(みあらか)仕へ奉りて、
天の御蔭、日の御蔭と隠りまして、安国と平らけく知ろしめさむ
然らば世界の高天原から天孫を中心とする聖人達の一団が地球上の何処へ降臨したものだろう。
「ここに膂肉(そじし)の韓(から)国を笠沙(かささ)の前(みさき)に求(ま)ぎ通りて」
(古事記)とあるから、これは大陸を通過して九州の笠沙岬に上陸された記録と見られる。
ここに始めて日本を根拠地として天孫すなわち天津日嗣天皇の世界経営統治がはじまった。
天孫降臨と共に世界の精神文明指導の政庁、教庁が設置され、その組織機構等すべてが高天原の布斗麻邇の原理の具現であった。
「大倭日高見の国」の日(ひ)は霊(ひ)であり、霊魂であり、その生命の霊魂の自覚であり、そしてその自覚の実体は言葉であり、言霊であって、特にその自覚の出発は言霊アである。
この生命なる日(霊)を高く仰ぎ見るためには、その基礎であるところの下津磐根、言霊イの内容を完成させなければならない。
アは天であり、イは地であり、天地が定まってその間に大倭(大和)の国家が構成される。
言霊イは地上の低いところ、「下津」に展開する。
「磐根」は五十葉音であって、すなわち布斗麻邇、一切種智である。
人類の一切の知性を種智としてことごとく把握表現したものが五十音であって、この種智を土台とし、座とすることが正当な文明を建設経営する唯一の基盤である。
「蓮華台は大麻邇なり、一の菩薩有りて結跏趺坐す。目を普賢と日ふ」(観普賢菩薩行法経)とある如く、仏、菩薩が時処位する形而上の蓮の台(うてな)が布斗麻邇である。
この事を更に簡単な形式で説明すれば、それはキリスト、イエスが産み落とされた馬槽(うまふね)であり、親鸞が逆説的に「とても地獄は一定のすみかぞかし」(歎異鈔)といったその地獄でもある。
哲学上で 框(かまち)と 称されるこの八数を基として展開する範疇の中に救世主が生み落とされ、菩薩が養育され、その上に仏陀が結跏趺坐する。
宗教上の修練としての個人の成仏成道の基盤と、文明社会を建設する原盤はいずれも共に同じ一つの「下津磐根」である。
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